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第1017回 御神幸祭(裸坊祭)

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御神幸祭
11月28日(土)
御発輦・・・午後6時~
御帰還・・・午後8時半頃


菅原道真公は「無実の罪」により失意のうちに太宰府で薨去されました。防府天満宮の御神幸祭は太宰府よりここ防府に遷り留まられた道真公のお御霊に、毎年毎年「無実の知らせ」をお伝えし御心をお慰めするため、縁深い勝間の浦まで渡御する壮大なお祭りなのです。そのお祭りの起源を辿ると防府天満宮の創建にさかのぼります。

本年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から協議を重ねた結果、裸坊奉仕並びに翌29日㈰天神おんな神輿は中止と決定致しました。御神幸祭につきましては御網代輿、神輿は出御せず、御霊(みたま)は唐櫃(からひつ)(大切な物を納める木箱)にて神職が御旅所まで渡御する事となりました。
毎年御奉仕頂いている皆様には誠に残念ではございますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

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~松崎の社の創建~
菅原道真公は右大臣であった昌泰四年(901)左大臣藤原時平の讒言により、太宰権帥に左遷させられました。その西下の途中、時の周防国司で同族の土師氏を頼り、本州最後の寄港地として当地勝間の浦に御着船され、「此の地未だ帝土を離れず 願わくば居をこの所に占めん」(松崎天神縁起絵巻第六巻)この港を出発すればいよいよ九州であるが、この周防の地は天皇のいらっしゃる京の都とまだ地続きである。願わくばここ松崎の地に住まいを構え天皇からの「無実の知らせ」を待っていたい と願われました。
薨去された延喜三年(903)2月25日勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引き人々を驚かせました。国司を始め里人たちは道真公のお御霊が光となり雲となって此の地に帰って来られたと悟り、翌延喜四年(904)国司は道真公の願われた通り、此の所松崎の地にお御霊の居(住まい)を建立して松崎の社と号しました。防府天満宮の創建です。

~御神幸祭の創始~
以来、国司や里の者たちはひたすら社を護り続けました。都では道真公に対し左遷の詔の破棄、さらには正一位太政大臣が送られましたが、防府の道真公のお御霊に直接の「無実の知らせ」はなく、道真公のお心が晴れることはありませんでした。ところが漸く創建百年に当たる寛弘元年(1004)10月15日、一条天皇の勅使が防府に使わされ勅使降祭(お御霊を慰める祭典)が斎行され、初めて天皇から「無実の罪」が奏上されたのでありました。このことを待ち続けられた道真公のお御霊はどれだけ安堵されたことでありましょう。
御神幸祭はこの勅使降祭を起源とし、その時以来「無実の知らせ」を伝えるお祭りとして連綿と受け継がれ、防府の天神様にとって崇敬の源となる最も重要なお祭りとなりました。

御神幸祭の渡御は供奉する多くの祭典所役と裸坊と呼ばれる一般奉仕者により構成されています。

 

大行司役・小行司役のこと
大行司役と小行司役は御神幸祭を始め係わる諸神事の無事斎行を祈る最高責任者です。
道真公が太宰府への西下の途中、国司を頼り当地勝間の浦にご着船された折に、国司と共に道真公の送迎をもてなした国庁の官吏の末裔といわれる藤井家が大行司役、同じく清水家が小行司役を奉仕しています。

 

裸坊のこと
御神幸祭は創始以来大行司・小行司や限られた家柄の者だけに渡御の奉仕が許されましたが、江戸時代後期には天神信仰の高まりと共に一般民衆も奉仕を熱望するようになり、身の潔白を示すことにより供奉が許されました。そこで民衆は潔白の証として佐波川で水垢離をとったままの姿で奉仕しましたので、その姿から裸坊と呼ばれるようになり、御神幸祭のことを裸坊祭とも称するようになりました。現在は約五千人の裸坊が白装束にて奉仕しています。

兄弟わっしょい(奉仕団体掲載パンフレット)

午後6時拝殿正面の扉が開かれるや、数百人の裸坊が一斎に拝殿になだれ込む。「兄弟ワッショイ」の掛声に加え人いきれと体温で殿内は熱気をおびてくる。先頭神輿、第二神輿と次々に昇ぎ出される神輿を多くの裸坊が取り囲む。次いで地響を立てながら、重さ500㎏の御網代輿が拝殿の階段を下り、参拝者の見守るなか、楼門を経て58段の大石段を滑り降りる。喚声と怒号、約五千人の裸坊が乱舞する様は壮絶の一語に尽きる。大石段を無事に降りた御網代輿は金鳥居前で台車に仕立てられ、御神幸の行列に加わる。警固町を経て天満宮より約2,5㎞はなれた勝間浦のお旅所(浜殿)に到着。浜殿神事のあと勅使降祭の故事にならって「無実の罪」を奏上し道真公のお神霊を慰める。御神威の若返りの時である。
神事終了後、行列は車塚町から天神町を経て午後9時過ぎに御帰還になる。ただちに御還幸祭が執り行われ瑞々しく若返ったお神霊を御神座にお遷しする。
参詣者は境内に溢れ、2日間で約15万人の参拝者で街中は混雑を極める。

▲御網代くぐり
御神幸祭を終えたばかりの御網代輿は回廊内に奉安される。ご参拝の方々にはその下をくぐることによって天神様のご加護がいただける。御帰還直後より翌日の午後8時まで

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天神おんな神輿

天神おんな神輿
御神幸祭翌日の日曜日 正午

ルルサス防府~防府天満宮を練り歩きます

昭和62年に誕生した天神おんな神輿。
最近いろんな所でおんな神輿が誕生していますが、当宮の天神おんな神輿はその中でも先駆け的存在で、神輿や半纏なども本場浅草風の本格派です。

「燃え尽きてこの一瞬 美しくしなやかに そして粋に」をキャッチフレーズにお祭り好きの女性達が毎年200人以上集まり、神輿二基を担ぎ防府の町を練り歩く、まさに全国でもトップクラスのおんな神輿です。
これに地元の小学生から成る、天神囃子隊40人が加わり一段とお祭りを盛りあげます。

平成26年より「土曜日の裸坊、日曜日のおんな神輿」として日曜日の「報賽祭」にて奉納

本年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から協議を重ねた結果、裸坊奉仕並びに天神おんな神輿は中止と決定致しました。毎年御奉仕頂いている皆様には誠に残念ではございますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。